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読書好きおじさんの小説紹介的雑文集

『ぼくは落ち着きがない』長嶋有

これぞ「純文学」と言いたい。



まあ、文学とはなんぞやなんてのは、よくわかってはいないし、そもそも区別する必要もないのかもしれないけども。


でも、僕の頭の中では(他の人にとってはどうかは知らない)これこそが「純文学」であると認識された。というか、そう決めた。


だから、誰かに「純文学」ってなに?って聞かれたら、僕は「それは長嶋有さんだよ」という事にする。


よく長嶋有さんは、小説の中で自身の文学についての考えを登場人物を使って語る。その考え方に、いつも僕は、そうそう、と思う。自分では言葉で言い表せないことを、代弁してくれている。


以前に読んだ『問いのない答え』という作品でも、そういう場面があったのを覚えている。それはその後に様々な小説を読みながら、幾度となく頭に浮かんだ場面(言葉)でもある。


物語、ではなく一瞬(一定の期間)の場面の描写で自身を表現するのが長嶋有さんだと思っている(勝手な解釈)。適当にページを開いて、いきなりそこを読んでも面白い。いい意味で「クセ」がある。


起承転結がしっかりあって楽しめる小説もいいんだけども、例えば僕の場合は、その「起」の部分がイマイチだとすぐ読むのをやめてしまうタイプなので、もはやそういう小説は得意ではないとも言える。(たまには我慢して最後まで読むのもあるけども)


基本的に文体自体に魅力を感じれば、ストーリーはさほど気にしない。まあ、あくまで僕はそうだという話で、ワクワクドキドキのジェットコースター展開な小説が好きな人も居るだろうし、それは好みだと思う。


でも、そういう小説が好きな人にとっては長嶋有さんの小説はオススメはできない。笑。特に何かが起こるというわけではないので、退屈に感じるのではないかと思う。


結局のところ、人のオススメとか評価とか気にせず、自分が読みたいと思ったものをさっさと読めばいいのだということなのだ。


人がつまんないと言ったものを自分は面白いと思ったのなら、それは素晴らしいことではないですか。人と同じで安心する国、日本ジャパン。


かく言う僕も多分にそういうところ、ありますけど。



久々にブログ書いた。